第2部 政争準備編
2003年1月。
とある休日の朝、麻帆良学園女子寮の一室。
左側をサイドテールにした小柄な少女が真剣に鏡を見つめている。
5分ほどじっと見つめ悩む彼女。
何度も横顔を確かめたり、上目使いをしてみたり、眼を細めたりとせわしない。
「まだ少し子供っぽいかな」
髪を降ろして左側だけシンプルな白の髪留めで留める。
「うん。やっぱりこっちの方がいい」
これで髪は整えた。次は顔色を確認する。
目元の隈は一晩で解消しているようだ。
実のところこの1週間ずっと緊張のあまり眠れず昨日まではくっきりと隈ができていた。
しかしハカセと超による特製の快眠薬により、昨夜は十分に睡眠をとれた。
何かお礼をしなくてはと少女は思う。
服は年始のバーゲンで友人たちに選んでもらったので、あまり心配はいらなかった。
少なくとも一般的に見ておかしいということはない……はずだ。
下はワインレッドのミニスカートとタイツに少しだけ底の高い黒のブーツ。
上は黒色のタートルネックセーターの上に輝くシルバーのハート型のネックレス。
これはこの前のクリスマスプレゼントに送られてきたものだ。
付けるべきかどうか迷ったが、今日付けずにいつ付けるのだと木乃香に言われた。
彼はこのネックレスを見て喜んでくれるだろうか?
あとは適当に白のピーコートを羽織れば大丈夫だろう。
もう一度彼女は鏡の中の顔を見つめる。
子供っぽくないだろうか?
中学生にもなって、大事な日に化粧の一つもしない女は失格なのだろうか?
今まで色気づく必要がなかったため化粧道具などを一切持っていなかった。
しかし今になってその事をかなり後悔していた。
そうして再び5分ほど鏡の前で悩み続ける。
「今日は一段と可愛いじゃないか刹那? ん? ついに男ができたか?」
声が後ろからするのと同時に、鏡に褐色の肌に黒い長髪の少女の顔が映った。
「たたたっ、龍宮!?」
鏡の前でずっと悩んでいた少女、桜咲刹那は後ろを振り返る。
女子寮のルームメイトの龍宮真名が不敵そうな顔で笑っていた。
「鏡の前で奮闘する姿はなかなかおもしろかったが、急に動かなくなったのでね。声をかけてみたくなった。で、それだけ可愛らしくして今日は男とデートなのかい?」
ふふふっと真名は笑う。
弄りがいのある獲物を見つけたという顔だ。
生真面目な刹那は冗談も生真面目に返すので、弄るのが好きな人間には格好の獲物だ。
真名にとって、刹那をからかって遊ぶのは密かな趣味の一つであった。
しかし帰ってきた反応は意外なものであった。
「私は……その……。龍宮。龍宮から見て、その……今日の私はかっ、可愛いと思うか?」
いつもの刹那なら絶対に考えられない。
たどたどしい言葉と、紅潮した頬から純粋さ故の恥じらいが感じられ、見上げる瞳はまさに必死の色だ。
「くっ!」
そんな光景に真名は耐えきれず息を漏らしてしまった。
「……な、なんだ!?」
「ははははっ!ムキになって否定する様を期待してたんだがそうきたか。ははっ、いや一本取られたよ。予想外だ。参った。今日の刹那は女の私から見ても十分可愛い」
「ほ、本当か?」
「あぁ自信を持て。2-Aで1番今の刹那は可愛いよ。それで他に何か困っていることでもあるのかい?」
少し目に涙を浮かべながら笑う真名を刹那は久々に見た。
クラスでも仕事でも、表面上ではない笑顔を見るのは珍しい光景。
笑われたことにムッとするよりも、自信を持てと言われたのは純粋に嬉しかった。
おしゃれなどほとんどしなかった刹那にとって、大人っぽい真名に言われたのは大きい。
「それで化粧をしたいんだが、今からでも買いに行くべきだろうか? 私はそういったものを全然持っていないんだ」
真剣な眼差しを受けて真名は参ったとばかりに手を上下に振る。
「刹那と私では肌の色が違うし、中学生なんだからある程度そのままの方がいいさ。控えめの色のグロスを貸してやるから今日はキスの一つでももらうといい」
さらりとすまし顔で告げる彼女は自分の机へグロスをとりに行った。
「……キス」
冗談を真に受けて思考停止していた刹那だが、携帯のバイブレーションで我に返る。
着信画面には大事な人の名前。
「もしもし?」
『あぁ刹那、もう起きてる?さっき空港に着いたけど、今からそっち向かうからまた後でな』
「うん。また後で」
10秒もない。たった一瞬のやりとり。
しかしこの短さこそが愛しく、距離の近さを感じさせた。
5年ぶりに愛しい主に会えるのだ。
今ここで、精一杯の努力をしようと再び彼女は鏡に向かった。
麻帆良学園の駅前。
予定よりも40分ほど早く、刹那は待ち合わせ場所に来ていた。
一番寒い季節。太陽もまだ十分に昇りきってはいない。
しかしそんな寒さすら気にならない程に彼女の体は火照っていた。
そういえば木乃香と一緒に来ればよかったなと思いつつ、自分がどれだけ焦っていたのかを思い知る。
きっと部屋に声をかけず寮を出ていったことを怒られるであろうことも、今の刹那にとってはほんの些細なことにすぎなかった。
洋服店のショーウィンドーの隣の壁に小さな背をもたれかける。
約束の時間までの僅かな間、もうすぐ会える愛しい主のことを思い浮かべた。
それは遠いけれども決して忘れられない10年前のこと。
烏族の里において、忌み嫌われる白い羽を持つ少女。
立派な妖怪でもなければ人でもない、半人半妖の存在。
同類と呼べる者どころか、親という存在すら物心ついたときには傍にはいなかった。
完全な孤立。
耐えきれなかった幼い彼女は里を出た。
助けを外部に求めるわけでなく、無自覚に死に場所を探して。
しかし彼女は幸運だった。
山で修業をしていた和葉とユキに出会うことができたからだ。
白い髪に紅い瞳、背中には枝が突き刺さりボロボロになった白い翼。
他にも体中は傷だらけで泥や血の色が滲んでいた。
幼き日の和葉はそんな彼女を見つけると、逃げることなくすぐに駆けよった。
「いたい、いたいの、とんでけ~!」
僅かな力の籠った言霊での左の掌の出血を止める和葉。
このとき刹那は暖かい手を生まれて初めて差し伸べられた。
こうして和葉と、その後を追いかけていたユキに刹那は保護された。
その後、神鳴流の門下生として刹那は預かられることになった。
同い年の木乃香とも出会い、小学生ほどの姿になったユキも含めて4人で稽古の合間によく一緒に遊んだ。
そして、ある日のこと。
ふとした弾みで木乃香が川で溺れ、それを助けようとした刹那も溺れてしまった。
半分ユキの力を借りたとはいえ、式神を使役した和葉に助けてもらうという出来事もあった。
しかしこれをきっかけに、現当主の子である和葉達と一緒に刹那を遊ばせているのは問題であるとの声が高まった。
以前の和葉と木乃香の誘拐事件のこともあり、長やユキに対して表立った言動は取れないものの、刹那に向けられるのは一部の大人たちの視線。
その冷たさは幼い子供たちですら感じとることができるものであった。
そんなある日、刹那は和葉に相談した。
「ウチ、みんなとちご~て、ちゃんとした『ようかい』やないから、『さと』におられんよ~になってもうたけど。ちゃんとした『にんげん』でもないから、かずくんといっしょにおったらあかんのかなぁ……」
自らの境遇に泣くこともなく、諦めのこもった瞳を浮かべて、ただ淡々と刹那は語った。
「おとなのいうことはよ~わからんけど、ぼくはせっちゃんといっしょがええ」
特に考える間もなく、和葉はそれを自然と口にしていた。
「ウチはんぶんは『ようかい』やねんで? こわないん?」
「ユキねえちゃんはぜんぶ『ようかい』やけど、こわないで?」
笑いながら和葉は言う。
確かに怖いと思ったことなど一度もないだろう。
「せやけど、ユキねえさまはかずくんの『しきがみ』やから『とくべつ』やもん。ウチとはぜんぜんちゃう」
妖怪でありながらも和葉の隣にいることの許されたユキへの嫉妬。
刹那が子供ながら常に感じていたことを言葉にしただけだった。
しかし、その言葉が和葉から思わぬ一言を引き出してしまう。
二人の人生を変える一言を。
「せやったら、ぼくはせっちゃんを『しきがみ』にしたる」
「……えっ?!」
あまりにも突飛な発言に刹那は理解が追いつかない。
「『にんげん』とか『ようかい』とか、おとなのいうことはどうでもええ」
和葉は力強くその言葉を続ける。
決して同情ではない。
無責任な戯言でもない。
語るのは心からの決意。
「せっちゃんがいっしょにいたいんやったら、ぼくがせっちゃんを『しきがみ』にしたる。ぼくがせっちゃんを『とくべつ』にしたるから、だれにももんくはいわせへん」
考えるよりも先に言葉が漏れ出してしまった。
幼き日の心からの願い。
「……うん。ウチを『とくべつ』にしてください。ウチはかずくんとずっといっしょがええ」
このときから刹那は『にんげん』でもなく、『ようかい』でもなく……
ただ一人の主の『とくべつ』になった。
そしてその愛しい主がようやく戻って来る。
彼の式神としてようやく力になれる時が来たのだ。